人生の充実を問い直す時期と「IKIGAI」の真価
日々、社会の第一線で重責を担い、あるいは家庭という基盤を盤石なものへと築き上げてこられたことでしょう。長年にわたる努力と献身によって、一つの到達点に立たれたとき、ふと周囲を見渡し、言葉にできない問いが心に浮かぶことは珍しいことではありません。これまでの日々は充実していたものの、残された時間を単に消費するだけのものにしたくないという切実な思いです。それは決してネガティブな感情ではなく、知性と感性を兼ね備えた方だからこそ到達する、より深い精神的充足への渇望と言えます。
世界中の研究者や知識層が、この時期に直面する精神的な転換期に注目しています。その中で、日本発祥の概念である「IKIGAI」が、第二の人生を豊かに生きるための極めて重要な概念として国際的な評価を集めています。単なる趣味の発見や暇つぶしではなく、自身の存在意義と社会とのつながりを再定義する高度な枠組みとして、「いきがい」は捉え直されているのです。
本記事では、知覚の鋭い読者の皆様に向けて、学術的な研究や心理学の知見を交えながら、ikigaiの真の構造を解き明かします。そして、単なる精神論を排し、明日からの生活に具体的な変化をもたらすための実践的なアプローチを提供いたします。この記事を読み終える頃、皆様の心の中には、新たな行動への明確な意欲が芽生えているはずです。
「生きがい」の多角的な構造と第二の人生の心理的変化
私たちが漠然と口にする「生きがい」という言葉は、最新の心理学的な視点から見ると、非常に多角的で精緻な構造を持っています。
第二の人生における「意味」は、決して単一の要素で構成されるものではありません。それは大きく分けて六つの要素から成り立っているとするモデルが提示されています。第一に、何に向かって進むのかという「目的」、第二に、何に重きを置くかという「価値」、第三に、自らの力で物事を成し遂げられるという「有能感や効力感」、第四に、自分自身を認める「自己価値感」、第五に、自分が他者や社会にとって重要な存在であるという「重要であるという感覚」、そして第六に、これまでの自分の人生の歩みを統合して理解できているという「人生を理解できている感覚」です。これら複数の要素が複雑に組み合わさることで、強固なikigaiが形成されます。
加齢に伴い、人間の心理的な優先順位は大きく変化します。「社会感情的選択理論」と呼ばれる理論が支持するように、人は年齢を重ねるにつれて、感情的に意味のある目標を優先し、ポジティブな出来事や人間関係に注意を向けやすくなります。つまり、五十代以降の「いきがい」の設計においては、これまでの競争や拡大を重視する価値観から、感情的な充足や深い人間関係、そして次世代に何を残していくかという要素の比重が自然と高まるのです。
この目的意識の高さは、決して心の中だけの問題にとどまりません。高齢期の「生きる目的」の高さは、心身の健康や主観的幸福感の向上、さらには死亡率の低下と強く相関することが、多数の調査によって明らかになっています。反対に、人生の意味や目的を喪失することは、気分の落ち込みや社会的な孤立、心身の機能低下を招く重大なリスク要因となります。
ここで、歴史に名を残す偉大な芸術家の一人、アンナ・メアリー・ロバートソン・モーゼス氏(通称グランマ・モーゼス氏)の生涯に目を向けてみましょう。彼女は長年、農場の仕事と家族の世話に人生を捧げてきました。しかし、七十代後半になり、持病によって長年の楽しみであった刺繍ができなくなります。手先の自由が奪われ、日常の喜びを失いかけた彼女に対し、家族は「絵を描いてみてはどうか」と提案しました。これが彼女の人生における決定的な転換点となります。七十八歳で本格的に筆を執り始めたモーゼス氏は、農村の風景や人々の営みを色鮮やかに描き出しました。驚くべきことに、彼女は百一歳で亡くなるまでに千五百点以上もの作品を制作し、そのうちの約四分の一は百歳を過ぎてから描かれたものでした。彼女の活動は、年齢にかかわらず新たな「目的」と「有能感」を見出すことが、いかに人間に無尽蔵のエネルギーをもたらすかを証明しています。
彼女は次のような言葉を残しています。「人生は私たちが創り出すもの。これまでもそうだったし、これからも常にそうだ」。この言葉は、IKIGAIが外部から与えられるものではなく、自らの手で築き上げるものであることを力強く語りかけています。
マルチステージ人生における実践的なライフデザイン
これからの人生を設計する上で、社会の構造そのものが大きく変化している現実を直視する必要があります。かつて当たり前であった「教育を受け、仕事に就き、そして引退する」という直線的な三段階の人生モデルは、すでに過去のものとなりつつあります。現代は、複数の「働く」「学ぶ」「休む」というステージが交互に現れる「マルチステージ人生」が現実的なものとなっています。
五十代以降の期間は、すべての活動から退く「完全引退」の時期ではありません。働き方や社会における役割を柔軟に変化させながら生きる、中長期的な「第二の人生のデザイン」のフェーズとして捉え直されています。
この第二の人生を強固に支えるためには、五つの基盤のバランスを整えることが不可欠です。それは、「仕事」「資産(年金や住宅など)」「家族」「健康」、そして「心の健康(ウェルビーイング)」です。これら五つの要素を俯瞰し、自分にとって何が最も重要かを明確にしていく作業こそが、第二の人生の充実に直結します。
平均余命の大幅な伸長により、退職後の期間は過去の世代とは比較にならないほど長くなりました。この長い時間をどのように使うか、その選択肢は格段に広がっています。調査においても、退職後に「家族と過ごす」「旅行をする」「新しい趣味を追求する」「ボランティアに参加する」といった積極的な活動に期待を寄せる人が多いことが示されています。
ここで注意すべきは、退職のあり方です。ある日を境に完全に社会的な活動を停止する「ハードストップ型」の引退は、心理的な危機を招く危険性があります。これまで会社や組織という枠組みの中で「有能感」や「重要であるという感覚」を満たしてきた人が、急にすべての役割を失うと、自己のアイデンティティを見失うケースが多いのです。
米国のブティックホテル事業で二十四年間にわたり最高経営責任者を務め上げたチップ・コンリー氏の軌跡は、この状況を見事に示しています。彼は五十二歳で自らが創業した会社から身を引き、実質的な引退生活に入りました。しかし、数ヶ月もすると、カレンダーに何の予定も書き込まれない日々に強い空虚感を覚えるようになりました。社会との接点が絶たれ、自分が誰からも必要とされていないという感覚に苛まれたのです。
しかし彼は、自らの状況を客観視し、行動を起こしました。その後、米国の民泊仲介大手であるエアビーアンドビー社の若き創業者たちから助言を求められ、同社に参画します。これまでの豊富なマネジメント経験を活かし、テクノロジーには精通しているものの経営経験が浅い若手起業家の育成支援という役割を見出したのです。過去の役職とは異なり、報酬の性質も変わりましたが、若きリーダーたちから直接感謝の言葉をかけられ、彼らの成長に貢献することで、彼は現役時代とはまた違う、より深い「ikigai」を取り戻しました。
インド独立の父であるマハトマ・ガンディー氏も、「 自らを見出す最良の方法は、他者のための奉仕に没頭することである 」という言葉を残しています。
退職は、目的の喪失ではなく、目的を再構築するための絶好の機会になり得ます。特に、これまでの仕事に十分な満足を感じていなかった人ほど、退職によって精神的なゆとりが回復し、新たな目的意識が高まることも報告されています。重要なのは、何もしないことではなく、パートタイム、プロジェクト単位での参加、あるいは起業など、段階的かつ柔軟な関わり方を選ぶことです。これにより、頭と身体を使い続け、社会とつながっていたいという人間の根源的なニーズを満たすことができます。
人生の意味なんて特に考えないというスタンスを取る層は、意味の喪失や精神的な落ち込みに陥りやすいという厳しい指摘も存在します。自らの価値観や人生の意味について、あえて立ち止まって振り返る「 意味の熟考 」が、第二の人生の精神的健康において極めて重要な役割を果たすのです。
新たな役割への移行とエンコア・キャリアの実例
実践的なライフデザインを考える上で、「社会貢献型セカンドキャリア(エンコア・キャリア)」という概念が非常に重要になります。これは、五十代以降に始める、社会的意義と収入を両立させる第二のキャリアを指し、教育、医療、行政、非営利組織など、公共性の高い分野での活動が多く見られます。単なるお金稼ぎではなく、「収入」「個人的な意味」「社会貢献」という三つの要素を同時に満たす働き方であり、第二の人生におけるikigaiの代表的な形態として提案されています。
五十代以降での職種転換は、もはや珍しいことではありません。六十二歳の時点で就労している人の約四十パーセントが、五十五歳以降に全く異なる職種へと移行していたというデータがあり、第二の人生でのキャリアチェンジが一般的になりつつあることを示しています。
この時期の起業も増加傾向にあります。五十五歳から七十歳の間に事業を起こす人々は、健康や高齢者支援、教育、環境保護など、自らの価値観や使命感を前面に出したビジネスを展開する傾向があります。これらは過去の経験の総決算であり、後世にレガシー(遺産)を残すための事業と位置づけられ、彼らのアイデンティティと生きがいの中心となっています。
ここで、歴史的な転換を遂げた著名な人物として、カーネル・ハーランド・サンダース氏の軌跡を紐解きます。彼は六十五歳という年齢で、経営していたレストランが新しいハイウェイの建設によって顧客を失い、倒産の憂き目に遭いました。手元に残ったのは、わずかな社会保障の小切手のみでした。多くの人であれば、ここで人生の幕引きを考えるかもしれません。しかし、サンダース氏には「自分が作り上げたフライドチキンのレシピには、人々を笑顔にする価値がある」という強烈な「自己価値感」と「目的」がありました。
彼は中古の車に圧力鍋とスパイスを積み込み、アメリカ中のレストランを巡る旅に出ます。「私のレシピを使わないか。売上の何パーセントかを支払ってくれればいい」。そう提案して回りましたが、待っていたのは過酷な現実でした。「そんな調理法は聞いたことがない」「老人の戯言だ」と、冷酷な言葉で拒絶される日々が続きました。記録によれば、彼は千九回もの拒絶を経験したとされています。
しかし、千十回目の訪問先でついに契約を勝ち取ります。彼の情熱と商品の確かな価値が、一つの扉を開いたのです。そこからの変化は劇的でした。彼のフランチャイズビジネスは瞬く間に広がり、七十三歳になる頃には六百以上の店舗を抱える巨大な事業へと成長しました。彼は単に経済的な成功を収めただけでなく、自らの仕事を通じて世界中の人々に喜びを提供し、生涯にわたって強烈な「IKIGAI」を燃やし続けたのです。
自動車王と呼ばれたヘンリー・フォード氏は、次のような言葉を残しています。「学ぶことをやめた者は、二十歳であろうと八十歳であろうと老いている。学び続ける者はいつまでも若い」。サンダース氏の挑戦は、まさにこの言葉を体現するものであり、年齢という数字がいかに表面的な指標に過ぎないかを教えてくれます。

探求の過程で生じやすい誤解と疑問の解消
「IKIGAI」を探求する道のりにおいては、多くの人が陥りやすい誤解や思考の罠が存在します。
最も典型的な誤解は、「定年後 何をする」と検索する人々にありがちな、「引退後は一切の責任から逃れ、完全に休むことが最善である」という思い込みです。先述の通り、ヨーロッパなどで行われている調査では、何もしないハードストップ型の退職よりも、新しい活動や役割を見つける人の方が、長期的に見て目的意識と心の健康を高く保ちやすい傾向が明確に示されています。
また、「いきがい がない」と思い悩む方々が陥りがちなのが、「いきがいとは、何か社会を揺るがすような偉大な事業や、特別な才能を必要とするものでなければならない」という思い込みです。これも大きな誤りです。研究者たちは、いきがいを単なる壮大な目標としてではなく、「自分が家族や他者にとって有能で意味ある存在だと感じること(重要であるという感覚)」として定義しています。
「50代 生きがい 見つけ方」を探している方にとって、朗報となる調査結果があります。退職後の希望する活動として最も多く挙げられるのは、「家族や友人と過ごす時間を増やす」「旅行に行く」「新しい趣味を追求する」といった、ごく身近な事柄なのです。これらは、感情的な充足や人との深いつながり、そして自分自身の内面的な成長と直結しており、「小さな喜びの充実」がいきがいの中核になりうることを証明しています。
欧州などでは、こうした人々の「第二の人生のデザイン」を支援するためのオンラインプラットフォームや研究が進んでおり、キャリアの再設計、学び直し、地域コミュニティへの参加などを組み合わせた「第二の人生のポートフォリオ」を構築するアプローチが注目を集めています。
ご自身の人生を振り返ったとき、「誰のために自分の時間と才能を使いたいのか」「どの役割が、自分はまだ必要とされているという感覚を与えてくれるのか」といった問いを立ててみてください。答えは、決して一つではありません。読者の皆様の数だけ、固有の答えが存在するのです。
未来への視座と、今ここから始まる小さな一歩
これまで述べてきたように、心豊かな第二の人生を設計するためには、三つの重要な視点が必要です。
第一に、人生の意味を「他者や社会にとって重要な存在であるという感覚(Mattering)」や「目的」として再定義すること。第二に、仕事、資産、家族、健康、心の健康という五つの基盤を俯瞰し、マルチステージ人生に対応した設計を行うこと。第三に、段階的で柔軟なキャリアの移行や、社会貢献型の役割(エンコア・キャリア)を通じて、自らの経験を社会に還元していくことです。
知識を得た後は、それを現実の行動へと移すことが求められます。今すぐにご自宅でできる、具体的な行動を一つご提案します。「ご自身の過去の経験の中で、他者から心から感謝された出来事を三つ書き出してみる」ことです。特別な道具は必要ありません。仕事のプロジェクトでの成功、家族へのサポート、あるいは見知らぬ人への親切など、どのような些細なことでも構いません。この作業は、ご自身が世界に対して持っている「価値」と「有能感」を再確認し、これからのikigaiの源泉を見つけるための強力な第一歩となります。
第二の人生は、決して消化試合ではありません。これまでに培ってきた知恵と経験を結集し、自らの意思で最高の傑作を描き出すための本番の舞台です。
What will you leave on this planet?(あなたはこの地球に何を残しますか?)
この問いへの答えを探求する旅が、皆様のこれからの日々を、輝きと喜びに満ちたものにすることを心より願っております。

【執筆・監修:ウィングストン調査研究部】
当財団では、世界中の人々が一度きりの人生を大切な人とともに歩み、自分らしく輝き続けられる社会の実現を目指しております。
その一環として、日本発の概念である「いきがい(IKIGAI)」に注目し、多角的な研究を行っています。
「海外から見たIKIGAIの受容」や「生涯現役で活躍する高齢女性のライフスタイル分析」など、共有可能な知見を多数蓄積しております。フォーラムへの登壇、カンファレンスでの発表、メディア掲載のご依頼につきましては、下記担当までお気軽にお問い合わせください。
一般財団法人ウィングストン・ジャパン財団 担当:田中
【引用情報リスト】
- Frontiers : Better Later Than Never: Meaning in Late Life
- PMC : Purpose
- PMC : The Effects of Retirement on Sense of Purpose in Life
- PMC : Meaning in Life among Older Adults: An Integrative Model
- PMC : Editorial: Meaning in Late-Life
- Aegon : the-second-50-navigating-a-multi-stage-life-report.
- LightSide : 3 insightful research findings that could help you navigate your “second 50”
- pwcltd.co.uk : 3 insightful research findings that could help you navigate
- ScienceDirect : Designing a second life: An action research project
- VANTAGE Aging : 5 Reasons People Choose an Encore Career
- VANTAGE Aging : 7 Questions Answered About Encore Careers
- Retirepreneur : Encore Careers: How to Find Meaningful Work After
- Arcus Wealth : 3 insightful research findings that could help you navigate
- Dentsu : Seiwa Business Link Second Life Preparation Support
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