はじめに|「人のため」は、遠い話ではない
「社会のために何かしたい」と言うと、どこか“意識が高い人”の言葉のように聞こえる。
でも実際には、「人に喜んでもらえた」「誰かが少し笑顔になった」──その手応えが、どんな言葉より心を満たすことがある。
社会的活動とは、なにも大きな事業やボランティア団体の立ち上げに限らない。
身近な誰かの役に立つこと。
それが、自分自身を支える力になることもある。
ここでは、その“ささやかな関わり”が生む変化と、その意義について紐解いていく。
1|“誰かの役に立てた”という実感が、心を満たす
「社会のために行動を」と言われても、何をどうすればよいか分からない。
けれど、ほんの少し勇気を出すことで、思わぬ心の動きが生まれる。
ある日、真夏の午後。
私は、炎天下の中でガレージに座り込む高齢女性を見かけた。あまりに辛そうだったので「大丈夫ですか?」と声をかけた。
「大丈夫です」と返されたが、気になって近くの自販機で冷たい水を買って手渡した。
すると、彼女は何度も何度も「ありがとう」と繰り返してくれた。
その頃の私は、人と関わることが怖くて、極力関わらないようにしていた。
だから、あの「ありがとう」は、思っていた以上に深く胸に響いた。
水1本で世界が変わるわけではない。
けれど、誰かの今日が変わることはある。そしてその関わりは、自分自身の孤独や無力感すら、少しずつ癒してくれる。
2|社会との「つながり方」は人それぞれ
誰かの力になりたい──そう思っても、全員が積極的に活動できるわけではない。
中には、私のように、人との関わりそのものに疲れてしまった人もいる。
けれど、自分のペースで、無理のない範囲で関わることなら、誰にでもできる。
たとえばイベントの運営。
私は、あるセミナーイベントを3年間「参加者」として通い続けたのち、主催を任された。
正直、不安も大きかったが、来場者を出迎えたり、気持ちよく帰ってもらえるように小さな気遣いを重ねた。
すると「ありがとう」「来てよかった」という言葉をたくさんいただいた。
それは、どんな自己啓発の言葉よりも、私の心を動かした。
本やセミナーでは得られなかった“満たされる感情”が、そこにはあった。
3|支えることは、自分を支えること
社会に対して何かしたいと願うことは、誰かを助けるためだけでなく、自分自身を支える営みでもある。
人との関わりが苦手だった私が、講師として話す機会をいただいたときも、最初は震えるほど怖かった。
けれど、「とても勉強になりました。開催していただいて、ありがとうございます。」と言ってくださった参加者の言葉に、胸の奥が、静かに満たされていくのを感じた。
行動することで、恐れていたはずの“関わり”が、いつのまにか心を整えてくれることもある。
4|“参加しない自由”を前提にした支援へ
一方で、誰しもが“誰かのために”とすぐに動けるわけではない。
心身が疲弊している時は、まず自分を守ることで精一杯だ。
社会との関わりが「義務」のようになってしまえば、かえって距離を置きたくなる人もいるだろう。
だからこそ、「参加しない自由」も尊重されたうえで、参加できる“余白”が用意された社会であってほしい。
いつでも手を伸ばせる場所がある。
でも、そっと見守るという関わり方もある。
それぞれの“ちょうどいい距離感”が尊重される社会こそが、成熟した社会だ。
結び|あなたの一歩が、誰かの灯火になる
社会に対する貢献とは、目立つことでも、大きな変化でもなく、
一人ひとりの「小さな関わり」の積み重ねでできている。
誰かのために動いたあの日、
水を渡したあの瞬間、
イベントの空間を整えたその時間。
それらが誰かの“今日”を変えていたかもしれない。
そして、その行動こそが、自分自身の心を救っていたことに、あとから気づくのだ。
社会的活動は、特別な人のものではない。
あなたが日々過ごすなかで、自然と生まれる“関わりのかたち”なのだ。