IKIGAI(生きがい)の本質とは|自然を描いた画家・小杉放菴に学ぶ生きる喜び

日々の社会的な重責を全うされ、確固たる地位を築き上げられた皆様は、物質的にも社会的にも満たされた状態にあることでしょう。しかし、ふとした折に「これからの人生の時間をより価値のあるものにしたい」「大切な人と共に、より有意義な時間を過ごしたい」という思いが胸をよぎることはないでしょうか。それは、これまでの日々を全力で駆け抜け、一つの頂上に到達したからこそ見える景色の中で芽生える、極めて深遠で尊い渇望に他なりません。

近年、世界中で「IKIGAI」あるいは「生きがい」という言葉がかつてないほどの注目を集めています。その潮流は、以下のような最新のニュースからも読み取ることができます。

2024年6月4日、人材サービスのグローバルリーダーであるアデコグループの日本法人が、自社で開発した自己探求プログラム「IKIGAI Compass」を、北海道東神楽町の公立中学校に導入したことを発表しました 。この取り組みは、全国の公立学校で初めて正規の授業プログラムとして導入されたものであり 、教育の最前線が、自分自身の内発的な動機を社会とどう結びつけるかという本質的な問いへとシフトしたことを意味しています。

さらに、2025年8月13日には、IKIGAI WORKS株式会社が、これまでの健康経営の枠組みをさらに一段階引き上げ、働く個人の「いきがい」を組織運営の中核に据える新たなプラットフォームの本格展開を発表しています 。これは、企業社会において守りの健康保持から、個人の価値観と企業の目的を合致させる攻めの経営へとフェーズが変わったことを示しています。

そして、2026年1月19日、次世代の働き方や生き方を研究する産学連携プロジェクトの最終発表において、京都産業大学のチームが「生きがい(IKIGAI)」をテーマにした研究で敢闘賞を受賞したことが公表されました 。これからの若い世代にとっても、IKIGAIは自分たちの人生を選択する上での必須条件となっていることを明確に裏付けています。

これらの出来事が示す通り、世界は今、物質的な豊かさの先にある精神的な充足を渇望しています。しかし、その過程で、本来の日本的な感性から大きく離れた西洋的なIKIGAIモデルが広まり、多くの人々を「完璧な目的探し」という罠に陥らせている事実も見逃せません。

明治から昭和にかけて活躍し、洋画家から日本画家へと転向を遂げて独自の美の世界を築き上げた小杉放菴氏は、次のような言葉を残しています。 「東洋にとって古いものは、西洋や世界にとっては新しい」

この言葉は、まさに現在のIKIGAIブームの構造を鋭く突いています。私たちが当たり前のように享受してきた日常の微細な喜びや、他者との和を重んじる精神といった古き良き日本の営みが、変化の時代を迎える現代の西洋社会にとって、極めて新しく、価値ある救済策として映っているのです。

小杉放菴氏がこの境地に達した背景には、1913年からのフランス・パリ留学という、文化の最前線での実体験がありました。当時の画家たちにとって、西洋画の技法を極めることは成功への最短距離であり、誰もが新しい流行を追い求めていた時代です。しかし、彼は西洋の心臓部とも言えるパリの地で、かつての日本で「古いもの」とされていた江戸時代の文人画家、池大雅の作品に出会います。異国の地で改めて自国の古い精神性に触れた彼は、そこに西洋文明では決して到達できない普遍的な「新しさを発見」したのです。

この「価値の逆転」は、現代におけるIKIGAIの受容プロセスと完全に対比できます。西洋的な幸福論が「何かを成し遂げること(Doing)」や「物質的な成功」という外側の新しさを追求し続ける中で、人々は慢性的な不安や燃え尽きに直面しました。その一方で、日本の「生きがい」という概念は、もともと平安時代に珍重された「貝殻(kai)」が語源となり、日常のささやかな行為の中に価値を見出すという、極めて「古い」日本的な感性に根ざしています。

西洋の人々にとって、この「ただ存在し、日常を慈しむ(Being)」という古い日本の態度は、直線的な進歩を信奉してきた彼らのロジックを根底から揺さぶる、極めて刺激的で新しい「生きるための処方箋」として再発見されたのです。

小杉放菴氏が洋画から日本画、そして自由な水墨画の世界へと回帰していったように、真の豊かさとは、外側の流行を追うことではなく、足元に眠る「古き良きもの」の中に宿る本質的な価値に気づくことにあるのかもしれません。私たちが「古い」と見過ごしてきた日本の精神性こそが、今、世界を癒やす「最も新しい価値」として輝きを放っているのです。

本記事では、小杉放菴氏の型に嵌らない生き様と数々のエピソードを交えながら、西洋の誤解を解きほぐし、皆様ご自身の中にある真の「生きがい」を見出すための具体的な実践法をお伝えします。この記事をお読みいただくことで、これまでの重圧から解放され、ご自身の本心に寄り添った、より豊かで意味のある時間を構築する道筋が見えてくるはずです。

世界を席巻するIKIGAIの誤解と、日本古来の「生きがい」の語源

現在、世界中で広く認知されている西洋版の「IKIGAI」モデルは、「自らが愛するもの」「得意なこと」「世界が必要としていること」「報酬を得られること」という4つの要素が完全に重なり合う中心点を探し出すことを提唱しています。一見すると論理的で魅力的に映るこの見取り図は、現状を客観的に把握する道具としては機能する側面を持っています。

しかし、現代の研究や批評では、この図解がもたらす深刻な弊害が指摘されています。4つの要素すべてを同時に満たす「完璧な交差点」を現実に見つけ出すことは極めて困難であり、それを絶対視することは、人々に「自分には価値ある目的がないのではないか」という強い重圧や罪悪感を生み出す最大の要因となっているのです。

そもそも、この図解はスペインの起業家が作成した「目的(Purpose)」の概念図が起源であり、それが日本発の伝統的モデルとして広まったこと自体が、深刻な「文化的誤用」であると指摘されています。脳科学者の茂木健一郎氏も、この図解について、動機付けの道具としては便利であっても「本来の日本の概念としては完全に間違っている」と明言しています。海外のインターネット掲示板などでは、このモデルが人間の存在価値と労働を過剰に結びつける「ハイパー資本主義的な自己啓発」であると厳しく問題視する声も上がっています。

では、本来の日本的な「生きがい」とは何なのでしょうか。その語源を遡ると、「生きる(iki)」という動詞に、価値や効果を意味する「甲斐(gai)」が結びついています。この「甲斐」は、平安時代において非常に価値の高いものとして珍重された「貝殻(kai)」に由来するとされています。当時の貴族たちは、美しい貝殻を収集し、そこに絵を描いて楽しむ遊びを通じて、独自の美意識と価値を見出していました。

時を経て、この「貝」が持っていた物質的な価値は、目に見えない「行為の結果としての喜び」や「生きる手応え」へと意味を広げ、「生きがい」という概念へと昇華されました。どのような時代においても変わらなかった本質は、壮大な目的ではなく、日々の小さな喜びを慈しみ、周囲との調和を重んじるという「内の感性」にあります。

この、外部の基準ではなく「内の感性」へ回帰することの重要性を、その生涯を通じて証明した人物が画家の小杉放菴氏です。1913年、彼は芸術の本場であるフランス・パリへ渡り、当時の最先端であった西洋画の技法を習得するという、いわば「約束された成功」の階段を登っていました。しかし、皮肉にもその旅の途上、パリの地で出会った池大雅の作品との出会いが、彼の運命を大きく変えることになります。

異国の地で日本の文人画が持つ深い精神性に直面した彼は、言葉に尽くしがたい衝撃を受け、自らが求めていた真の美が西洋の技法の中にあるのではなく、むしろ東洋の「古きもの」の中にこそ眠っていることに気づかされました。彼は、社会的な名声や周囲からの期待といった「外的な物差し」をきっぱりと手放し、自分自身の内側から湧き上がる純粋な歓びに従う道を選んだのです。世界が認める成功を捨て、自らの文化や内面にある静かな美しさを再発見するという彼の決断は、壮大な目的を見失い、「生きがい」という迷路で立ち止まってしまった現代の私たちに対し、豊かさの本質は常に「自分自身の足元」に存在しているということを、力強く、そして静かに語りかけています。

 

「目的探しの罠」から抜け出し、日常の微細な歓びを取り戻す実践法

長年にわたり皆様は、あらゆる課題を論理とデータによって解決してこられました。そのため、「自分自身の人生の究極の目的」という最も難解な問いに対しても、同じように綿密な自己分析を行えば明確な答えを即座に導き出せるはずだという重圧を自らに課してしまいがちです。

しかし、海外のコーチング機関や心理学の専門家たちの分析によれば、高達成者が陥る燃え尽きの背後には、「目的不在の過労」と「情熱の義務化」という二つの強烈な罠が存在しています。オーストラリアの著名な著述家であるティム・デニング氏も、人々が西洋版のIKIGAIモデルに自らを当てはめ、「完璧な目的」や「壮大な社会的意義」を過剰に探し求めた結果、かえって強い空虚感や燃え尽きに陥ってしまう実態を指摘しました。海外のビジネスネットワーク上で発表された論考によれば、「IKIGAIを探すこと自体が強い執着となり、『今ここ』の生活を味わえなくなる」という本末転倒な事態が多発しています。

この状態を打破し、真の生きがいを構築するためには、壮大な目的を掲げることを一旦止め、段階的なアプローチでご自身の内面と向き合う必要があります。大きな決断は、それに伴うリスクや心理的障壁も比例して大きくなります。経営や投資の世界では綿密な事業計画が不可欠ですが、内面的な探求において同じ手法を用いると、計画の段階で息絶えてしまいます。そこで推奨されるのは、ご自身の仮説を、日常の小さな行動を通じてテストしていく方法です。

実践の第一歩は、ご自身の「情熱」や「得意なこと」を、社会的意義や金銭的報酬から完全に切り離して言語化することです。例えば、海外の先進的な実践手法においては、まずご自身の内面を徹底的に棚卸しするための「4つのリスト」を作成することが推奨されています。

第1のリストは、「情熱」に関するものです。読書や料理など、ご自身が純粋に喜びを感じ、時間を忘れて没頭してしまう活動を少なくとも二十個挙げることが求められます。

第2のリストは、「得意なこと」に関するものです。ご自身の強みや、これまでに他者から高く評価された技術を特定します。

第3のリストは、「社会的使命」に関するものです。ご自身が解決したいと感じる社会問題や、他者のために貢献したいと願う領域を深く考え、言語化します 。

そして第4のリストが、「専門性や報酬」に関するものです。第一から第三までで洗い出した活動が、将来的にどのような形でご自身の生活や活動資金を支える基盤になりうるのかを洗い出します 。

これらのリストを書き出す行為そのものが、長い間見過ごしてきた自分自身の本心と向き合う、非常に重要な時間になります。

現代社会では、外部のシステムや評価基準が、効率よく「正解」を提示してくれる場面が増えています。しかし、その便利さの裏側で、他者の価値観に従うだけの状態が続くと、人間が本来持つ内発的な動機は少しずつ弱まっていきます。だからこそ、誰の目も気にせず、ただ自分が「心地よい」と感じる小さな行為を、自らの意思で選び取り、日常の中に少しずつ取り戻していくことが重要なのです。そうした営みは、精神の乾きを防ぎ、心を豊かな状態へと導く大切な起点になります。

ここで一つの例として、小杉放菴氏の人間味あふれる一面を見てみましょう。

小杉放菴氏(本名:国太郎氏)の若き日の雅号「未醒(みせい)」にまつわるエピソードは、単なる反抗期の笑い話にとどまらず、私たちが「自分だけの生きがい」を見つけるための極めて重要な本質を突いています。

「未醒」誕生の背景には、厳格な師と破天荒な弟子の深い関係がありました。小杉放菴氏が生まれ育ったのは、豊かな自然に彩られた栃木県の日光です。彼はそこで、植物学にも通じた洋画家の五百城文哉(いおきぶんさい)氏のもとに入門します。五百城文哉氏には何人かの弟子がいたといわれていますが、その中で最も深い師弟関係を築き、大成したのが小杉放菴氏でした。

しかし、若き日の小杉放菴氏は大のお酒好きでした。自身は全くお酒を飲まない五百城文哉氏から、度重なる飲酒を見かねて「お酒の飲みすぎを控えなさい」と厳しく叱責されます。これに対し、小杉放菴氏は反抗心から、自ら「未だ酒から醒めることができない(未だ醒めず)」という意味を込めて「未醒」という雅号を名乗り始めたのです。師匠の忠告に真っ向から盾突くようなこの命名は、彼の負けん気の強さと破天荒な性格を如実に表しています。

ここで注目すべきは、欠点や矛盾を愛する強さです。小杉放菴氏は単なる不良弟子として破滅したわけではありません。反抗的な態度をとりながらも、彼は五百城文哉氏のことを生涯にわたって深く尊敬し続けていました。また五百城文哉氏も、泥酔するような不器用な弟子を見捨てることなく、広い心で受け止め、芸術の基礎を徹底的に叩き込んだのです。

この「未醒」という名前を掲げたまま、彼は上京し、横山大観氏らと共に日本美術院の洋画部を牽引するほどの近代洋画の大家へと成長していきます。完璧な優等生としてではなく、お酒を手放せないという自らの弱さや、世間的な正しさから外れた部分を隠すことなく、そのまま看板として掲げて突き進んだのです。事実、彼は生涯にわたりお酒を愛し、のちに新潟県の妙高高原・赤倉温泉で出会った青森県の銘酒「桃川」の酒造会社とも深い交流を持ち、ラベルの文字を揮毫するなど、自らの愛するものを大切にし続けました。

私たちが生きがいを探そうとするとき、往々にして「社会から求められる立派な目的」や「誰もが感心するような正しい理由」を無意識に設定してしまいます。しかし、小杉放菴氏の「未醒」というエピソードが教えてくれるのは、真の内発的な動機とは、もっと泥臭く、人間臭い感情の底から湧き上がってくるものだということです。

自らの「不完全さ」を無理に矯正し、「完璧な聖人君子」を目指す必要はありません。世間的な正しさの枠に自分を押し込めるのではなく、反抗心、執着、あるいは捨てきれない無駄な愛情など、自分の中にある矛盾や弱さを「自分らしさ」として丸ごと受け入れること。そのありのままの感情に素直になることこそが、誰にも真似できない圧倒的な情熱を呼び覚ます土台となるのです。

のちに彼は「放菴(あるいは放庵)」と名乗り、洋画から東洋の精神性を重んじる日本画・水墨画へと軽やかに転向していきます。若き日の「未醒」という反抗と葛藤の時代を、不器用に、しかし全力で生きたからこそ、後年の自由で飄々とした「放菴」の境地へと至ることができたのでしょう。

皆様も、「立派な生きがい」を見つけなければという重圧を手放し、まずはご自身の中にある「ちょっとした人間臭い欲望」や「理屈に合わないこだわり」に、ありのままに耳を傾けてみてはいかがでしょうか。

孤立を防ぎ、共有体験を通じて生きがいを深化させる

単なる精神論ではなく、人間の構造に基づく科学的な視点からikigaiを分析した「生体心理社会モデル」によれば、この循環の基盤となる第三の要素は社会的側面です。孤立を防ぎ、他者との関係性や地域社会とのつながりを持つことが、特に経験を重ねた方々にとって極めて強力な予測因子となることが示されています。

日本国内においても、2023年5月31日に「孤独・孤立対策推進法」が成立しました。科学的な見地からも、このikigaiの有無がもたらす影響は明確に示されています。特定の目的意識を持たない層は、不安を感じる確率が2倍以上に跳ね上がり、特に35歳から59歳にかけての年代において、その傾向が顕著になることが確認されています。一方で、自らの内に確固たるIKIGAIを保持している層は、困難な状況下での精神的回復力が極めて高く、予期せぬ社会的危機に直面した際にも、その影響を最小限に留めることができるのです。

他者と空間や目標を共有し、共に何かに取り組むという体験は、人間の精神に極めて肯定的な影響を与えます。特定の集団に所属しているという強い感覚(所属感)は、精神衛生を劇的に向上させます。そして、この所属感を育むための最も有効な鍵となるのが、グループ活動における「共有体験」です。

小杉放菴氏の人生を振り返ると、彼は決してアトリエに籠りきりの孤独な画家ではありませんでした。彼は運動神経が極めて優れており、テニスや野球などさまざまなスポーツ団体に所属していました。特にテニスでは「ポプラ倶楽部」という集まりに所属し、当時彼が住んでいた田端の自宅にテニスコートを設け、そこが多くの洋画家や文化人たちの社交の場となりました。また、野球では「天狗倶楽部」というアマチュア野球愛好家の集いに所属し、仲間たちと白球を追いかけました。

絵画の制作という極めて個人的で内省的な作業の対極にある、仲間たちとの純粋なスポーツという「遊び(共有体験)」。利益や名声、あるいは作品の社会的評価とは全く無関係なこの時間が、彼の心を解放し、多様な感性を吸収する場として機能していたことは想像に難くありません。他者との純粋な交流を通じて得られるエネルギーが、彼の創造性の源泉となり、生涯にわたる活力を支えていたのです。

東北大学による数万人規模の大崎コホート研究の公表データによれば、「生きがい」を持たない人の死亡リスクは持つ人の一・五倍に達することが示されています。また、日本の六十五歳以上約一万四千人を対象とした大規模な追跡調査の公表データによれば、「生きがいあり」と回答した人々は、そうでない人々に比べて、その後の機能障害の発生リスクや要介護状態に陥るリスクが有意に低いことが報告されています。さらに、高齢者を対象とした複数の研究レビューにおいては、「IKIGAI」や人生の目的が高い人ほど、全死亡および心血管疾患の発生リスクが低いことが示されています。「機能障害の発生リスクを31パーセント低減させ、認知機能の低下を36パーセントも抑制する」というデータが示す通り、人間の生命活動そのものを根底から支え、強化する極めて実用的な機能を持っているのです。

このように、他者との温かな関係性を築き、純粋な喜びを共有することは、身体的な健康をも強力に後押しします。経済的な成功を収めた後、私たちはつい「自分一人の力で社会にどう貢献するか」という壮大な問いに向き合いがちですが、まずは身近な人々との無目的な時間を楽しむことこそが、生きがいの強固な地盤となるのです。

完璧な環境への執着を手放し、変化の中で自己を見出す

IKIGAIを構築する過程において、多くの方が陥りやすい最大の誤解があります。それは、「すべての条件が完璧に整った環境でなければ、真の生きがいは見つからない」という錯覚です。社会的な使命を果たさなければならない、あるいは、十分な報酬や名声が伴わなければ自分の活動には価値がない、と思い込んでしまうことです。

専門家による批判として、「世界が必要とすること」や「お金」を強調するモデルは、むしろ人を「外的評価と市場価値」に縛りつけてしまい、本来の「内的な喜びやつながりに根ざしたIKIGAI」から遠ざけてしまうと警告されています。実際に、収入や雇用の状態がIKIGAIのスコアと明確な正の相関を示し、個人のウェルビーイング(心身の良好な状態)の向上に直接的に寄与しているという研究データが存在します。しかし、ここで注意しなければならないのは、基本ニーズを満たした後の金銭的増加は、IKIGAIの形成においてあくまで「副次的」な要素にとどまるという事実です。

「もし今の環境が変わってしまったら」「もし現在の地位を失ったら、自分の生きがいも消えてしまうのではないか」。そのような不安を抱える方に、小杉放菴氏の後半生の軌跡は大きな勇気を与えてくれます。

1935年、小杉放菴氏は日本美術界の頂点とも言える帝国美術院の会員に官選という形で選出されました。当時の帝国美術院は国家が主導する最高の権威であり、そこに名を連ねることは芸術家として最大の誉れでした。しかし、この時期の美術界は、組織の改組を巡って激しい派閥争いや対立の渦中にありました。芸術の本質とは無縁の権力闘争や政治的な駆け引きを目の当たりにした小杉放菴氏は、周囲の引き留めにも応じず、名誉あるその座をあっさりと辞任してしまいます。

地位や名声にしがみつくことなく、自らの内なる自由を守り抜くというこの決断は、社会的な重責を背負い続けてきた皆様にとっても、深く共鳴する部分があるのではないでしょうか。組織の頂点に立つことだけが人生の目的ではないということを、小杉放菴氏は自らの行動で見事に体現したのです。

その後、さらなる転機が彼を襲います。第二次世界大戦の戦火が激しくなる中、文化人が多く住むことで知られていた東京の田端にあった彼の自宅が、空襲によって全焼してしまったのです。そこには、多くの画家や作家たちが集い汗を流したテニスコートがあり、これまでに描きためた数々の貴重な作品がありました。長年かけて築き上げた物理的な基盤と華やかな交友関係の場を、一瞬にして失ってしまったのです。

しかし、彼は新潟県の赤倉(妙高山の麓)へと疎開し、そこを終の棲家としました。一般的な見方をすれば、すべてを失ったかのように映るこの予期せぬ出来事も、小杉放菴氏にとっては新たな美の世界への扉でした。彼は、環境の変化や物質的な喪失を嘆くことはありませんでした。むしろ、肩書きも財産も手放し、大自然の懐に抱かれたこの疎開の地で、老子氏や荘子氏の提唱した東洋の思想(老荘思想)に深く傾倒していきます。

人為的な取り繕いを捨てて自然のありのままを受け入れるという老荘思想の教えは、赤倉の豊かな自然環境と見事に融合し、彼の内面をさらに研ぎ澄ませていきました。そして生み出されたのが、「新文人画(新南画)」とも呼ばれる、飄々として自由で、極めて独自のスタイルを持つ水墨画の世界です。対象を精密に描写する西洋的な技法や画壇の流行から完全に離れ、力の抜けた柔らかな筆遣いで、自然の風景や神話の人物をユーモアを交えて描くその作風は、彼自身の心境そのものでした。

東京の中心で権威を背負って描く絵よりも、すべてを手放した辺境の地で、ただ描きたいから描くという行為の中に、彼は比類なき歓びを見出していたのです。この事実は、「いきがい」の本質が、外部からの評価や画一的な成功の基準とは完全に切り離された、極めて個人的で純粋な歓びの領分に存在することを物語っています。

何ら見返りを求めない一途な没入こそが、時として想像を遥かに超えるほど豊潤な展開を人生にもたらします。小杉放菴氏の歩みは、現在の地位や環境が変化することを恐れず、その時、その場所でしか味わえないご自身の本心に素直に従うことの尊さを、私たちに鮮やかに証明しているのです。

次世代へ繋ぐ、真の豊かさへの歩み

これまでの考察を通じて、真のIKIGAIを構築するための重要な視点が三つ浮かび上がってきました。

第一に、答えは外の世界の画一的な成功モデルの中にあるのではなく、ご自身の内なる感性と日常の微細な喜びに根ざしているということです。

第二に、すべての要素が完璧に重なる「究極の中心点」を無理に探し求める必要はなく、ありのままの自分を受け入れ、柔軟に変化していく過程そのものを楽しむ姿勢が不可欠であること。

そして第三に、孤立を避け、利害関係を超えた他者との純粋な共有体験を持つことが、生命力を高め、精神的な回復力を強固にするということです。

明日からすぐに実践できる行動をご提案いたします。次回、ご家族や古くからの友人と食事を共にする際、仕事の業績や将来の計画について語るのを一度やめ、ただ目の前の料理の味わいや、共に過ごすその瞬間の空気感だけを五分間共有してみてください。利益や効率を度外視したこの純粋な時間の共有が、皆様の心を豊かな状態へと導く確実な起点となります。

小杉放菴氏は、自らの創作に向き合う姿勢について、次のような言葉を残しています。

「なにゆえに描くのか。自分の知らない自分探しというところがある」

地位や名声のためではなく、純粋な好奇心と終わりのない自己探求こそが、彼の原動力でした。彼の生涯を振り返ると、その言葉通り、常に「自分の知らない自分」を求める旅の連続でした。一つの専門性や与えられた肩書きに固執することなく、純粋な好奇心の赴くままに多彩な領域へと足を踏み入れたのは、名声や利益を拡大するためではなく、ご自身の内側に眠る「新たな可能性」や「まだ言葉になっていない感情」にただ出会いたかったからなのでしょう。

皆様がこれまで培ってこられた圧倒的な経験と知恵は、決して過去の栄光にとどまるものではありません。それをどのようにご自身の内なる喜びと結びつけ、これからの時間を紡いでいくか。

What will you leave on this planet?(あなたはこの地球に何を残しますか?)

ご自身の心に正直に、日々の小さな喜びに満ちた歩みを重ねていくこと。その確かな足跡こそが、次世代にとって最も価値のある贈り物となるはずです。

【執筆・監修:ウィングストン調査研究部】

当財団では、世界中の人々が一度きりの人生を大切な人とともに歩み、

自分らしく輝き続けられる社会の実現を目指しております。

その一環として、日本発の概念である「いきがい(IKIGAI)」に注目し、多角的な研究を行っています。

「海外から見たIKIGAIの受容」や「生涯現役で活躍する高齢女性のライフスタイル分析」など、

共有可能な知見を多数蓄積しております。フォーラムへの登壇、カンファレンスでの発表、

メディア掲載のご依頼につきましては、下記担当までお気軽にお問い合わせください。

一般財団法人ウィングストン・ジャパン財団

担当:田中

【引用元・参考情報】

  • アデコ株式会社(アデコの生きがい発見プログラム「IKIGAI Compass」が、北海道東神楽町の公立中学校に導入)
  •  IKIGAI WORKS株式会社(健康経営から、いきがい経営へ。「いきがい(IKIGAI)」を組織に実装する国内初プラットフォーム「IKIGAI WORKS」本格展開) 
  • 京都産業大学(次世代の働き方や生き方を研究する産学連携プロジェクトの最終発表にて、京都産業大学のチームによる「生きがい(IKIGAI)」をテーマにした研究が敢闘賞を受賞)
  • 妙高市(赤倉温泉と文化人 小杉放菴居)
  • 田端文士村記念館(田端に暮らした芸術家たち 小杉放菴)
  • note(「名言との対話」4月16日。小杉放菴「東洋にとって古いものは、西洋や世界にとっては新しい」)
  •  美術品買取専門店 獏(小杉放庵の作品が鑑賞できる美術館を紹介|代表作品や世界観も解説)
  • 大町桂月 桂月をめぐる人々(小杉放菴と桃川酒造の交流記録)
  •  刀剣ワールド(小杉放庵 日本史辞典/ホームメイト)
  •  小杉放菴記念日光美術館(小杉放菴の生涯、小杉放菴ってどんな人?5、五百城文哉と弟子・小杉放菴の師弟関係に関する資料) 
  • 中日新聞Web(小杉放菴の画業たどる 県美術館で回顧展 洋画から日本画へ)
  •  TOKYO ART BEAT(小杉放菴展:洋画から日本画へ ── 響きあう自然と絵画) 
  • 東京文化財研究所(小杉放菴 日本美術年鑑所載物故者記事) 
  • サントリー美術館(生誕140年記念 小杉放菴展) 
  • 東洋経済オンライン(日本人の「生きがい」が世界でブームになる理由) BBC Worklife(Ikigai: The Japanese words for a long, happy life) 
  • Medium – Tim Denning(The Japanese Concept of ‘Ikigai’ is a Capitalist Trap) 
  • 内閣官房 孤独・孤立対策担当室(孤独・孤立対策推進法について) 
  • 東北大学 大崎コホート研究(「生きがい」と死亡リスクの関連) 
  • 国立長寿医療研究センター(JAGESプロジェクト:高齢者の生きがいと健康長寿の関連調査) 
  • 厚生労働省(健康寿命の延伸と生きがいの関連に関するデータ)
  •  ScienceDirect(The relationship between ikigai and mental health/cardiovascular diseases in older adults)
  •  BBC Worklife(Ikigai: The Japanese words for a long, happy life)
TOP