生きがいのある街とは?住民主体のまちづくり実例と個人の関わり

地域の未来を照らす生きがい|成熟した知性が踏み出す新たな1歩

これまでの日々を力強く駆け抜け、事業や組織、あるいはご家族の歩みを牽引してこられた皆様は、社会において揺るぎない地盤を形成してこられたことでしょう。生活の基盤は盤石であり、これまでのご自身の決断が正しかったことは、積み上げられた実績が何よりも雄弁に物語っています。

しかしながら、社会的な役割を全うし、あらゆる面で満たされた状態にあるにもかかわらず、ふとした瞬間に、言葉にはしがたい問いが胸をよぎることはないでしょうか。「これからの人生の時間をより価値のあるものにしたい」「大切な人と共に、より有意義な時間を過ごしたい」という思いが、心の奥底で芽生えているはずです。それは決して現状に対する不満などではなく、知性と感性を極限まで研ぎ澄ませてこられた方だからこそ抱く、極めて深遠で尊い渇望に他なりません。これまで、国際的な場で多くの経営者や投資家層の皆様が人生の岐路に立つ場面に同席してまいりましたが、地位や財産を得た後に訪れるこの「次の意味を求める問い」は、共通して見られる現象です。

いま、世界中で「IKIGAI」という概念が大きな注目を集めています。それは個人の内面的な探求にとどまらず、他者との関わりや「まちづくり」といった社会的な営み、さらには地方創生と深く結びついています。近年、このいきがいと地域社会の交差点において、人々の意識の変化を示す極めて象徴的な出来事が次々と報じられています。

2024年4月5日、日本の総務省は「令和5年度における地域おこし協力隊の活動状況等」を発表しました。この調査結果によると、都市部から地方へと移住し、地域の課題解決や魅力向上に取り組む地域おこし協力隊の隊員数が、過去最多となる7192人に達したことが明らかになりました。この制度に参加する人々の多くが、単なる雇用の確保や生活拠点の移動を目的としているわけではありません。「自分の持つ能力が直接的に誰かの役に立つ」という実感、すなわち地域社会における自らの役割といきがいを求めて、未知の土地へ飛び込んでいる事実が浮き彫りになりました。

また、2024年2月13日には、日本の農林水産省が「ノウフク・アワード2023」の選定結果を公表しました。農業と多様な人材の関わりを促進するこの取り組みにおいて、農業という地域の基幹産業を通じて、多様な背景を持つ人々が力を合わせ、作物を育てるという共通の目的を持つことで、地域全体に新しい活力が生まれている優良事例が全国から多数選定され、広く紹介されました。生産性のみを追求するのではなく、関わる人々が互いの存在を認め合い、社会への参画意識を高める仕組みが、地域の持続的な発展に大きく寄与していることが証明されたのです。

さらに、2024年3月22日、日本の国土交通省が「第2回 地域価値を共創する不動産事業アワード」の表彰式を開催しました。この賞は、単なる物理的な建物の建設にとどまらず、地域の課題を解決し、人々の交流や新たな価値を生み出す事業を国が高く評価するものです。選定された事業に共通していたのは、そこに集う人々が自発的に関わり合い、コミュニティの中で互いの存在を認め合う「居場所」を生み出しているという点でした。ハード面の整備以上に、人々の内面的な充足を支えるソフト面のアプローチが、持続可能なまちづくりの要であることが明確に示されました。

これらが示すのは、ikigaiとは決して孤独な内省の中で見つけるものではなく、地域や他者との温かな交わりの中にこそ存在するということです。

幕末から明治維新にかけて、多くの志士たちを育て上げた教育者であり思想家である吉田松陰の教えとして、現代においても広く語り継がれている次のような名言があります。

「夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし。」

この言葉は、物事を成し遂げるための極めて論理的かつ本質的な道筋を示しています。どんなに優れた能力や潤沢な資金があっても、すべての起点は「こうありたい」という純粋な『夢(=内発的な動機)』にあります。夢がなければ高い理想を描くことはできず、理想がなければ具体的な計画は生まれず、計画がなければ実際の行動に移すことはできません。そして、行動が伴わなければ決して成功に辿り着くことはない、という真理を説いているのです。

すでに社会の第一線で確固たる実績を築き上げられた皆様にとって、ここでいう『夢』とは、もはや自己の利益や地位の向上といったものではないはずです。「自らの知恵や経験で誰かを笑顔にしたい」「この社会を少しでも良くしたい」という、極めて純粋で利他的な願い、すなわち『IKIGAI(生きがい)』そのものと言えるでしょう。すべての偉大な変革や持続可能な成功は、外から与えられた完璧な計画からではなく、一人ひとりの内側から湧き上がるこの熱量から始まるのです。

地域の変革やまちづくりと聞くと、巨大な資本や大規模な計画が必要であると錯覚しがちです。しかし、変革は常に、個人の内側から湧き上がる小さな情熱と、自らが生きる道筋を他者への貢献と重ね合わせるささやかな行動から始まります。本記事では、豊かな感性を持つ大人が、地域社会の中で自らのIKIGAIを見出し、日々の生活に新たな彩りを加えるための具体的な歩み方を紐解いていきます。

住民主体のまちづくりにおける精神的な基盤と活力の源泉

「生きがい」という言葉を耳にすると、非常に美しく高尚ではあるものの、どこか捉えどころのない精神論として受け取られがちです。しかし、この概念の源流を探ると、それは極めて実践的であり、常に共同体との強い結びつきを持っていたことが分かります。

古来より、人々は自らが生活する土地や自然、そしてそこに暮らす人々との調和の中に自らの役割を見出してきました。集落では毎年の収穫を共に喜び合い、職人たちは技術を磨き上げることで街の発展を支えました。そこには「誰かのために自らの力を尽くす」という、極めて純粋で直接的な喜びが存在していたのです。

この「他者との関わりの中で見出される価値」こそが、生きがいの核心です。現代社会において、効率や利益を追求するあまり、私たちはこの根源的な喜びから遠ざかってしまいました。しかし、社会的な重責を全うされ、自らの内面と深く向き合う余裕を持たれた皆様にとって、地域社会は再びその喜びを発見するための最も豊かな土壌となります。

まちづくりにおいて、個人の充実感とコミュニティの調和が見事に結びついた歴史的な事例が存在します。日本の近代都市計画を牽引した政治家であり医師でもあった、後藤新平氏の軌跡です。

後藤新平氏は、台湾の近代化事業や、関東大震災後の帝都復興院総裁として東京の都市計画を主導したことで広く知られています。彼の功績を語る際、広大な道路網の整備や上下水道の敷設といった、目に見える巨大なインフラ整備にばかり焦点が当てられがちです。しかし、彼が真に目指していたのは、単なる物理的な街の近代化ではありませんでした。

若き日にドイツで医学を修め、医師としてキャリアを出発させた後藤氏は、「生物学の原則に則った政治」という確固たる信念を持っていました。それは、対象となる土地の風土や、そこに生きる人々の歴史・習慣を徹底的に調査した上で、生命が自然に育つように社会の仕組みを整えるという、極めて有機的なアプローチです。

彼は、まちづくりの根幹には常に「人づくり」がなければならないと強く主張していました。台湾における医療や衛生環境の抜本的な改善も、単なる設備の導入ではなく、疫病から住民の命を守り、彼らが健康を取り戻して自律的に生活を営む力を持つためのものでした。後藤氏は現地の習慣を尊重する「旧慣調査」を徹底し、強権的な支配ではなく、住民が自発的に社会に参加できる土壌を丁寧に耕したのです。

さらに彼の「人づくり」への執念は、自らの周囲に集めた人材の顔ぶれにも表れています。農学者であった新渡戸稲造氏を台湾の産業発展のために三顧の礼で招聘するなど、優れた知性を持つ人材を国内外から見出し、彼らに存分に能力を発揮できる場を提供しました。「大風呂敷」と揶揄されるほどの壮大なビジョンを描きながらも、その実現を担う「人への投資と信頼」を生涯にわたって最優先したのです。

また、東京の復興においては、被災した人々が絶望から立ち直り、「自分たちの街は自分たちの手で良くしていくことができる」という強い誇りを取り戻すことを何よりも重視しました。延焼を防ぐための広大な公園整備は、防災機能にとどまらず、市民が憩い、語り合うコミュニティの場を意図的に生み出すものでした。

後藤新平氏は、街を強くするのは鉄やコンクリートではなく、そこに住む1人ひとりの住民が社会における自らの役割を認識し、地域のために力を尽くそうとする意志であると見抜いていました。住民の間に自治の精神が育まれ、互いに助け合う関係性が生まれたとき、街はどのような災害や経済的困難にも耐えうる強靭さを手に入れるのです。

彼が残した「財を残すは下、事業を残すは中、人を残すは上なり」という有名な思想は、まさにこの本質を突いています。まちづくりという営みは、単なる空間の整備ではなく、そこに暮らす人々の内発的な動機に火を点け、IKIGAIを育む作業に他ならないことを、この歴史的事実は明確に証明しています。人々の心に宿る小さな誇りや喜びを丁寧にすくい上げ、それらを束ねていくこと。それこそが、時代を超えて地域に息吹を吹き込む方法なのです。

福井県鯖江市「めがねのまちさばえ」

まちづくりにおいて、個人の充実感とコミュニティの調和が見事に結びつき、行政と住民の関係性を根本から変えた現代の実例も存在します。福井県鯖江市を「めがねのまちさばえ」として全国区に押し上げ、2010年に全国でも類を見ない「市民主役条例」の制定を主導した、牧野百男(まきの ひゃくお)前市長の軌跡です。

2004年に牧野氏が市長に就任した当時、鯖江市は極めて厳しい状況にありました。平成の大合併において単独市制の道を選んだものの、財政は火の車であり、「夕張市の次に財政破綻するのは鯖江かもしれない」とまで囁かれるほどの絶望的な危機に直面していたのです。かつて、日本の多くの自治体と同様に、鯖江市でも「公共サービスは行政が提供し、市民はそれを受け取る側である」という固定観念が根強く存在していました。しかし、財源も人材も限られる中で、行政単独の努力だけでは到底この危機を乗り越えることはできないと牧野氏は痛感しました。

そこで彼が打ち出したのが、まちづくりの主役は市民であり、市長や行政はそのサポート役(黒衣)に徹底して回るという、役割の根本的な転換でした。牧野氏は「行政は万能ではない。市民の中にある知恵と情熱こそが最大の財産である」という確固たる信念を持ち、自ら地域を歩き回り、市民との対話を泥臭く重ねました。その対話の中で生まれたのが、市民が自らの意志でまちづくりに参画するためのルールを定めた「市民主役条例」です。

牧野氏の「人づくり」への執念と寛容さは、その後の象徴的な取り組みに鮮やかに表れています。例えば、地元の女子高生たちが自由にまちづくりに参加する「鯖江市役所JK課」の創設です。大人たちの会議に若者を動員するのではなく、彼女たちが純粋に「面白い」と感じるプロジェクト(ごみ拾いイベントや地元スイーツの開発など)に対して、行政は一切口出しせず、実現のための環境調整のみに徹しました。牧野氏は、若者や市民からの突飛に見える提案に対しても決して頭ごなしに否定せず、「まずはやってみよう」と背中を押し続けたのです。

この条例と牧野氏のリーダーシップの下で、鯖江市の市民は自らの得意分野や情熱を活かし、様々な地域課題の解決に乗り出しました。公園の管理や除雪作業といった身近な活動から、伝統工芸である越前漆器や眼鏡産業の魅力を発信する世界的イベントの企画、さらにはIT技術を活用したオープンデータの推進(データシティ鯖江)など、多岐にわたる分野で市民が中心となって活動を展開したのです。

ここで特筆すべきは、参加した市民たちの内面に生じた劇的な変化です。牧野氏が「信じて任せる」姿勢を貫いたことで、市民たちは行政から指示された作業をこなすのではなく、「自分たちの街を自分たちの手で面白くする」という強烈な当事者意識を持つようになりました。自らのアイデアが形になり、それが地域の人々に喜ばれ、街の活気に直結していく過程を目の当たりにすることで、彼らはそこに圧倒的なIKIGAIを見出したのです。牧野百男氏の軌跡は、リーダーが権限を手放し、市民の持つ可能性を信じ抜くことこそが、最も強力な地方創生の原動力となることを明確に証明しています。

 

地域の輪に入るための段階的なアプローチと実践

では、豊富な経験と知恵を持つ皆様が、地域社会において自らの生きがいを見出し、住民主体のまちづくりに参画していくためには、どのような段階を踏めばよいのでしょうか。ここでは、その実践的なステップを解説します。

最初のステップは、「観察と傾聴」です。ビジネスの世界において、皆様は市場の動向を分析し、最適な戦略を立案することに長けていらっしゃいます。しかし、地域社会という有機的な共同体においては、その論理的なアプローチを1度手放す必要があります。地域の歴史や文化、そこで暮らす人々の思いは、数字やデータだけでは決して測れません。まずは1人の住民として、地域を歩き、人々の声に耳を傾けること。彼らが何を大切にし、何に困っているのかを、いかなる評価も交えずに受け止める作業が不可欠です。

次のステップは、「ご自身の純粋な喜びと地域の交差点を見つける」ことです。地域に課題があるからといって、義務感や責任感だけで取り組もうとすると、いずれ精神的な枯渇を招きます。ご自身がこれまでの人生で、誰の評価も気にせず純粋に没頭できたこと、心地よいと感じたことを思い返してください。例えば、植物を育てる喜び、古いものを修理する喜び、あるいは人々の話を聞き整理する喜び。その個人的な情熱と、地域の小さな需要が重なる点こそが、皆様にとっての新しいいきがいの出発点となります。

このプロセスにおいて、個人のささやかな趣味と地域固有の文化が融合し、住民全体の景観意識を変え、深い交流と圧倒的なIKIGAIを生み出した実例が、2000年に長野県小布施町でスタートした「おぶせオープンガーデン」の取り組みです。

小布施町は、栗の生産や晩年の葛飾北斎が過ごした歴史的な景観で知られる美しい町ですが、この町の魅力をさらに高めているのが、住民たちが自らの自宅の庭を一般に公開する活動です。実は小布施町には、古くから「お庭ごめん」という独自の風習がありました。これは「よそのお家の庭も自由に通って良い」という、境界を厳格に設けない寛容な縁側文化です。さらに、1980年代から町全体で「花のまちづくり」を進めてきた土壌がありました。ここにイギリス発祥の「オープンガーデン」の概念が持ち込まれたことが、すべての始まりでした。

この取り組みは、行政の巨大な予算や強制的なルールによって始まったものではありません。「外はみんなのもの、内は自分たちのもの」という理念のもと、花や庭造りを愛する38軒の住民が、「丹精込めて育てた花を、道行く人にも楽しんでもらいたい」という純粋な思いから、庭先に「Welcome to my garden(どうぞお入りください)」の案内板を掲げたのが発端でした。官民一体の取り組みでありながら、行政は干渉せずオーナーの自主性に完全に委ねているのが特徴です。

当初、個人の生活空間である庭を赤の他人に公開することに対しては、懸念の声や不安を抱く住民も少なくありませんでした。「見知らぬ人が敷地に入ってくることで、生活の平穏が脅かされるのではないか」「庭の手入れが不十分だと非難されるのではないか」といった声が上がったのです。このように、新しい試みが地域に導入される際、最初は理解が得られず、うまくいかない時期が必ず存在します。

しかし、先行して庭を公開した住民たちが、訪れる人々との会話を楽しみ、花を通じて温かな交流を育んでいる様子を見るうちに、次第にその輪は広がっていきました。ここで重要だったのは、「完璧に手入れされた庭でなくてもよい」という寛容さです。時には竹製のベンチが置かれ、「畑に出ています。どうぞごゆっくり」というプレートが添えられた「普段着の庭」も公開されました。彼らが強制されることなく、自らが楽しむ姿を見せ続けたことが、最大の転換点となったのです。

「綺麗な花ですね」「どうやって育てているのですか」。庭を介して交わされる何気ない会話は、それまで言葉を交わすことのなかった近隣住民同士、あるいは遠方からの訪問者との間に、強固な信頼関係を築き上げました。第三者から庭を褒められる喜びは、住民たちにとって最高のモチベーションとなり、自らの趣味が他者の心を和ませ、町全体の美しい景観づくりに直接貢献しているという事実に、大きなIKIGAIを感じるようになったのです。

現在では、小布施町内で130軒ほどに上る家々がオープンガーデンに参加しており、町を歩く人々を魅了し続けています。小布施町の事例は、まちづくりへの参画が、決して特別な能力や自己犠牲を必要とするものではないことを教えてくれます。ご自身が心から楽しめる小さな活動を、少しだけ社会に向けて開いてみること。その寛容な姿勢が、地域に新しいつながりを生み出すのです。

 

劇的な変化を生む地域と個人の深い結びつき

経験を重ねた皆様が、地域に足を踏み入れ、自らの能力を新しい形で発揮する際、そこには必ず心を揺さぶるような変革の物語が生まれます。

長年、都市部の第一線で激しい競争を勝ち抜き、組織を成長させてきた方が、地方のまちづくりに関わるようになるとき、当初は「自らの卓越した経営手腕で、この地域を良くしてやろう」という無意識の自負を抱いていることが少なくありません。しかし、その論理的で直線的なアプローチは、複雑に絡み合った地域の人間の感情や歴史の前に、しばしば厚い壁にぶつかります。真の変化が起きるのは、自らの「正しさ」を手放し、一人の人間として地域の人々と徹底的に対話しようと決意した瞬間です。

2008年に岡山県西粟倉村で立ち上げられた「百年の森林構想」の推進は、地域の危機的な状況に対して、リーダーの類まれなる覚悟と外部の知性が深く交わり、村全体の生きがいを見出した見事な実例です。この変革を中心となって牽引したのが、当時の村長であった道上正寿(みちうえ・まさとし)氏と、外部の専門家として移住した牧大介(まき・だいすけ)氏です。

西粟倉村は、面積の約95%を森林が占める、人口約1400人の小さな村です。平成の大合併の際、周囲の市町村が次々と合併の道を選ぶ中、道上氏は「合併しない」という極めて困難な決断を下しました。しかし、それは同時に、過疎化と高齢化という絶望的な現実に、村単独で立ち向かうことを意味していました。

村の基幹産業である林業は低迷し、「山は金にならない」と見放され、手入れされない人工林は荒廃の一途を辿っていました。この絶望的な状況下で、道上氏が目を向けたのは足元にある見捨てられた森林でした。彼は「約50年前に、子や孫のためにと先人たちが汗水流して植えた木がある。その想いを大切にして、立派な百年の森林に育て上げよう。そのためにあと50年、村ぐるみで挑戦を続けよう」と宣言し、「百年の森林構想」を打ち立てました。これは単なる経済政策ではなく、先人たちへの敬意と次世代への責任を言語化した、村民の魂を揺さぶるビジョンでした。

この村の覚悟に強烈に共鳴し、構想を「事業」として具現化するために立ち上がったのが牧大介氏です。京都大学大学院で森林生態学を修め、持続可能な経済の研究者であった牧氏は、地域再生マネージャーとして村に関わり、2009年に村や地元森林組合と共同で地域商社「株式会社西粟倉・森の学校」を設立しました。

牧氏ら都市部から移住してきた若者たちは、地元の森林組合や木材加工業の職人たちと徹底的に対話を重ねました。最初は、都会から来た若者の「間伐材に価値をつける」という斬新なアイデアに対して、長年山で生きてきた職人たちは懐疑的でした。「現場を知らない若者に何ができるのか」という強烈な反発もあったと言います。しかし牧氏らは、自らも山に入り、木の手入れをし、泥にまみれながら職人たちと同じ目線で村の未来を語り合いました。

その泥臭い対話と歩み寄りが、互いの間に深い信頼関係を芽生えさせました。牧氏の持つ高度なマーケティング力と、地元の職人の確かな技術が融合した結果、それまで捨てられていた間伐材は、都市部のマンションでも手軽に無垢材の床を作れる「ユカハリ・タイル」などの付加価値の高い大ヒット商品へと生まれ変わりました。

さらに牧氏らは「ローカルベンチャー」の育成に注力し、起業を支援する仕組みを整えました。村内には木材関連だけでなく、豊かな自然資源を活かした多様な分野のベンチャー企業が次々と誕生しました。

具体的な数値の変化としても、西粟倉村の取り組みは目覚ましい成果を上げています。多くの地方自治体が人口減少に苦しむ中、移住者が村の人口の1割以上を占めるようになり、特に若い世代の転入が増加しました。さらに、村内での新規創業の数は数十社に上り、地域経済に確かな雇用と活力を生み出しています。

村の住民たちは、見捨てられかけていた自分たちの森が、新しい価値を生み出す宝の山であったことに気づき、深い誇りを取り戻しました。移住してきた人々も、自らの能力が村の未来に直接的に貢献しているという圧倒的なIKIGAIを感じています。道上氏のトップとしての揺るぎない覚悟と、牧氏の外部からの知性と情熱。この二つの力が結びついたとき、限界集落がどれほど力強い活力を生み出すかを、西粟倉村の変革は鮮やかに描き出しています。

意見の対立と相互理解の泥臭いプロセス

しかし、地域社会の中にIKIGAIを見出し、まちづくりに関わっていく過程は、常に順風満帆なわけではありません。多くの優れた知性を持つリーダーが地域活動において直面しやすい、特有の困難が存在します。

最も陥りやすい誤解は、「論理的に正しい提案をすれば、誰もがすぐに賛同してくれるはずだ」という思い込みです。ビジネスの世界では、課題を迅速に特定し、効率的な解決策を実行することが求められます。しかし、何十年、何百年という歴史を持つ地域社会にその速度を持ち込むと、必ず強い摩擦が生じます。

地域の営みは、経済的な合理性だけでは説明できない、日々の細やかな関係性や独自の文化によって成り立っています。それを無視して「正しい解決策」を性急に推進しようとすれば、どれほど優れた提案であっても、住民からの強烈な反発を招くことになります。

この困難な壁に直面し、真摯な対話と試行錯誤の末にそれを乗り越えた軌跡として、2005年に試験放鳥が開始された兵庫県豊岡市における「コウノトリ野生復帰」に伴う環境創造型農業への転換の事例が挙げられます。

豊岡市は、かつて日本の空から姿を消した国の特別天然記念物であるコウノトリを、再び野生に帰すという壮大なプロジェクトを推進していました。コウノトリがかつて絶滅に追いやられた最大の要因は、明治以降の乱獲に加え、戦後の近代農業がもたらした環境の激変にありました。農薬や化学肥料の多用により、コウノトリの餌となるカエルやドジョウといった多様な生物が田んぼから姿を消してしまったのです。彼らを再び野生で生かしていくためには、かつての豊かな湿地環境、すなわち無農薬や減農薬による安全な田んぼを取り戻すことが絶対条件でした。

当時の市長であった中貝宗治氏をはじめとする市の担当者たちは、農家に対して環境保護のために農法を転換してほしいと協力を呼びかけました。しかし、農家からの反応は極めて厳しいものでした。「除草剤を使わずに、雑草や害虫の処理をどうするのか」「収量が減ったら誰が家族の生活の責任をとるのか」。長年、草ひとつ生えない美しい田んぼを作り、効率的で収量の多い農業に心血を注いできた彼らにとって、市からの提案は、これまでの血の滲むような努力と誇りを真っ向から否定されるかのように聞こえたのです。

推進側は、環境保護の正当性や、コウノトリを復帰させることの歴史的意義を論理的に説明しようとしました。しかし、正論を振りかざせば振りかざすほど、農家との溝は絶望的なまでに深まっていきました。この行き詰まりを打破したのは、推進側の「理屈での説得を諦め、農家の苦労に徹底的に寄り添う姿勢への転換」でした。

市の職員や普及員たちは、農家の田んぼに足繁く通うようになりました。スーツを脱ぎ捨て、泥にまみれて一緒に這いつくばって草取りを手伝いながら、農家が抱える不安や、長年農業にかけてきたプライドにひたすら耳を傾けたのです。「環境のため」という上段に構えた言葉ではなく、「共に悩み、共に汗を流す」という一人の人間としての真摯な行動が、頑なだった農家の心を少しずつ溶かし、強固な信頼関係を築き上げていきました。

そして、一部の農家が先陣を切って「コウノトリ育む農法」に挑戦し始めました。それは苦難の連続でした。冬の間も田んぼに水を張る「冬期湛水」や、オタマジャクシがカエルに育つまで水を抜かない「中干しの延期」など、これまでの農学の常識を覆す特殊な水管理が求められました。除草剤に頼らない田んぼでの草取りは想像を絶する重労働でしたが、少し手入れを怠ればすぐに雑草に覆われてしまいます。しかし、農家たちが諦めずに田んぼと向き合い続けると、そこに奇跡が起こりました。水が張られた田んぼには無数の生き物が戻り、カエルが害虫を食べ、生態系の力だけで雑草を抑える技術が確立されていったのです。そして何より、その命あふれる田んぼの上空を、放鳥されたコウノトリが優雅に舞い降りるようになりました。

そうして育てられた安全で美味しい米は、「コウノトリ育むお米」としてブランド化され、市場で極めて高い評価を受け、消費者に熱狂的に喜ばれるようになりました。しかし、農家の人々が得た最大の対価は、経済的な利益だけではありませんでした。

「自分たちが丹精込めて育てた田んぼが、絶滅した命を甦らせ、豊かな環境を守り、子どもたちの健康を支えている」。この圧倒的な実感が、かつて効率と収量のみを追い求めていた農家の人々の魂を揺さぶり、新たな「IKIGAI」をもたらしたのです。激しい対立から始まったこのプロジェクトは、時間をかけた相互理解の深いプロセスを経て、豊岡市の農業を根本から変え、世界に誇る環境都市へと成長させる最大の原動力となりました。

このエピソードが教えてくれるのは、地域との関わりにおいて最も重要なのは、「特別な能力を発揮して論理的に即座に解決すること」ではなく、「時間をかけることへの寛容さを持ち、異なる価値観を持つ人々と共に歩む覚悟を持つこと」だということです。すぐに結果を求めるのではなく、対話を重ね、共に汗を流し、信頼という見えない資産を蓄積していくこと。その一見すると非効率極まりないプロセスの中にこそ、まちづくりの核心があり、皆様ご自身の魂を深く満たす歓びが隠されているのです。

 

未来を創る1歩|あなたから始まる地域への温かな連鎖

これまで、住民主体のまちづくりにおいて見出す生きがいの本質から、具体的なコミュニティの変革事例、そして乗り越えるべき困難と対話の重要性について紐解いてきました。ここまでの重要な視点を3つに集約します。

  • 1つ目は、IKIGAIは孤独な探求ではなく、地域という環境と他者との温かな交わりの中にこそ見出されるということです。
  • 2つ目は、地域の持続的な発展は、巨大な計画の押し付けからではなく、住民1人ひとりが自らの役割と存在意義を認識する「心の変化」から始まるということです。
  • 3つ目は、論理や効率を手放し、時間をかけて地域の人々と信頼関係を築くプロセスそのものが、皆様ご自身の人生を極限まで豊かにするということです。

社会における重責を全うされ、次なる意味を探求される皆様にとって、地域社会はこれまでの知恵と経験を、最も純粋な形で他者への贈り物へと変換できる最高の舞台です。

明日からすぐに実践できる、極めて小さな行動を1つご提案いたします。

今週、ご自身がお住まいの地域の図書館や郷土資料館に足を運び、その土地の古い地図や歴史に関する書籍を1点だけ手に取ってみてください。そして、ご自身が毎日何気なく歩いている道や、近くの河川、あるいは小さな神社が、かつてどのような人々の営みによって守られ、どのような変遷を辿ってきたのかを、15分間だけ調べてみることです。

そこに「この街の課題を解決する」といった大きな目的を持ち込んではいけません。ただ、ご自身が暮らす土地の記憶に対する純粋な敬意を持ち、その歴史の連続性の中に今の自分が存在しているという事実を穏やかに受け止めること。この極めて個人的で純粋な関心から生まれる行動が、皆様と地域を深く結びつけ、新たな生きがいの物語を紡ぎ始める確かな道標となります。

幕末の激動の時代を駆け抜け、己の信念のもとに新しい時代を切り拓いた志士、高杉晋作氏は、辞世の句として次のような言葉を残したと伝えられています。

「おもしろき こともなき世を おもしろく」

この言葉の真髄は、「世の中が面白いかどうかは与えられた環境が決めるのではなく、自らの心持ちと行動次第でいかようにも変えられる」という、極めて力強い主体性にあります。これに続く下の句は、彼を看病した野村望東尼(のむら もとに)が「住みなすものは 心なりけり」と引き継いだとされており、まさに心の在り方と行動が世界を創るという本質を突いています。

人口減少や産業の衰退といった、一見すると課題ばかりで希望を見出しにくい「おもしろからぬ」地方の現状。しかし、そこに皆様がこれまでのビジネスの最前線で培ってきた圧倒的な知恵と情熱を注ぎ込み、眠っていた価値を掘り起こすことで、その場所は途端に色鮮やかで「おもしろき」舞台へと変貌を遂げます。いかなる逆境も自らの手で切り拓いてこられた皆様の確かな主体性こそが、停滞した地域社会に新しい風を吹き込む最大の鍵となるのです。

皆様の内に秘められた豊かな感性と、他者を想う深い愛情は、間違いなく地域の未来を照らす確かな光となります。まずはご自身の足元にある小さな営みに目を向け、そこに自らの情熱を重ね合わせていくこと。その行動の連鎖は、やがて周囲の人々に伝播し、世代を超えて受け継がれる温かな共同体を生み出していくはずです。

What will you leave on this planet?(あなたはこの地球に何を残しますか?)

【執筆・監修:ウィングストン調査研究部】

当財団では、世界中の人々が1度きりの人生を大切な人とともに歩み、自分らしく輝き続けられる社会の実現を目指しております。

その1環として、日本発の概念である「いきがい(IKIGAI)」に注目し、多角的な研究を行っています。

「海外から見たIKIGAIの受容」や「生涯現役で活躍する高齢女性のライフスタイル分析」など、共有可能な知見を多数蓄積しております。フォーラムへの登壇、カンファレンスでの発表、メディア掲載のご依頼につきましては、下記担当までお気軽にお問い合わせください。

一般財団法人ウィングストン・ジャパン財団

担当:田中

【引用元・参考情報】

  • 総務省(令和5年度における地域おこし協力隊の活動状況等)
  • 農林水産省(ノウフク・アワード2023 選定結果を公表しました!)
  • 国土交通省(「第2回 地域価値を共創する不動産事業アワード」各賞を決定!~表彰式において受賞者によるプレゼンテーション等を実施します~)
  • 山口県 萩市(吉田松陰語録)
  • 奥州市公式ホームページ(後藤新平の言葉・名言集)
  • 鯖江市(鯖江市市民主役条例)
  • 小布施町(小布施町オープンガーデン事業)
  • 西粟倉村(百年の森林構想)
  • 豊岡市(コウノトリ野生復帰の歩み / コウノトリ育む農法)
  • 東行庵(高杉晋作の生涯と辞世の句)
  • 後藤新平記念館(後藤新平の生涯) 
  • 国立国会図書館(近代日本人の肖像:後藤新平)
  • 事業構想オンライン(「市民主役」でまちづくり 鯖江市長・牧野百男) 
  • 福井県鯖江市(鯖江市役所JK課プロジェクト) 
  • 新東通信(「めがねのまちさばえ」を全国区へ。市民と共創する牧野百男前市長の軌跡)
  • おぶせオープンガーデン(小布施ガーデンとは)
  •  全国町村会(オープンガーデン)
  •  BS朝日(栗と北斎と花のまち! 小布施官民一体ではじめた“オープンガーデン”でまちづくり)
  • Through Me(地域をあきらめないという意思表示。いま振り返る『百年の森林構想』とは) 
  • DRIVEメディア(全ては合併拒否から始まった―ローカルベンチャーから新しいコモンへ(1)) 
  • greenz.jp グリーンズ(「あなたはあなたらしく生きればいい」西粟倉「A0(エーゼロ株式会社)」牧大介さんがみつけた答えは、個人が目指したい幸せのかたちが起点になった地域づくり)
  • 土木学会 委員会サイト(中貝宗治氏(豊岡市長)行動する技術者たち) 
  • サトウカエル(兵庫県豊岡市における「コウノトリ育む農法」に取り組む農業者に対する聞き取り調査報告)
  • 下関市公式ウェブサイト(高杉晋作の辞世の句と終焉の地) 
  • 防府天満宮(野村望東尼と高杉晋作)
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