はじめに|相談していない、けれど「苦しい」と感じている人へ
「毎日を生きるのが精一杯。でも、病院に行くほどじゃない気もする」
「これくらいのことで助けを求めるなんて、甘えなんじゃないか」
そんな言葉にならない“しんどさ”が、今日も日本のどこかで息を潜めている。
うつ病や精神疾患の診断を受けていない。だけど、明らかに生きづらさを抱えている人は、私たちの想像以上に多い。
厚生労働省の調査によると、10代〜30代の若者の約3割が「不調を感じているが相談していない」という。
その声なき声は、数字には現れず、社会のどこにも記録されないまま、日常に埋もれていく。
このコラムでは、「診断名のつかない不調」こそが、最も見落とされやすい現代的課題であることを、社会構造・制度・そして実体験を通して読み解いていく。
1|“まだ大丈夫”が限界を超えるまで──声を上げない人たちの存在
「病院に行くまでもない」と思ってしまう理由には、日本特有の空気がある。
・我慢を美徳とする文化
・自己責任論が根強い職場や家庭
・助けを求めること=迷惑をかける、という意識
・診断されることへの不安やレッテル感
つまり、“まだ頑張れる”という思いが、自らを追い詰めていく構造があるのだ。
声を上げるという行為には、想像以上のエネルギーが必要だ。
だからこそ、誰にも言わず、誰にも見せず、静かに日常をこなしている人たちは、“強くあろうとした人たち”でもある。
2|個人の問題ではなく、社会のキャッチ力の問題
相談しない人が悪いわけではない。
むしろ、社会がその“予兆”を拾いきれないことの方が、構造的な課題である。
制度や支援策があったとしても、それが使われなければ“無い”のと同じ。
たとえば、一人暮らしの学生や非正規雇用の社会人、育児中の親など、孤立リスクが高い層ほど、「しんどい」と言い出すことが難しい。
問題は「声がないこと」ではなく、「声があっても拾えない社会」なのだ。
必要なのは、明確なSOSではなくても、拾える仕組みとまなざしである。
3|“小さな関わり”が、見えない心を救うことがある
これは、私自身の経験でもある。
10代の頃、私は不登校を経験した。朝、目が覚めると同時に胸が押しつぶされそうになり、「今日も学校に行けない」自分を責めていた。
やがて入院するほど心を病み、世界が色を失っていった。
でも、そんな私の心を少しだけ明るく照らしてくれたのは、20歳のとき、オープニングスタッフとして始めた居酒屋のアルバイトだった。
職場の人たちが、何気なく下の名前で呼んでくれた──
それだけで、涙が出そうなほど嬉しかった。
それまで、クラスで名前を呼ばれた記憶すらなかった私にとって、「存在を認識されること」が、こんなにも救いになるのかと気づいた。
人は、特別な支援ではなく、“ただそこにいる”ことへの肯定によって、心を再び動かすことがある。
4|グレーな不調を“可視化”するためにできること
「生きづらさを感じているけど、診断も受けていないし…」
そんな人の声を、私たちはどう拾えば良いのだろうか。
いま、社会に必要なのは「早期介入」でも「積極的治療」でもない。
もっと手前の、“違和感”を言葉にできる場所や、言わなくても察する文化のようなものだ。
たとえば、
・学校や職場に“誰かがいる”ことを感じられる環境づくり
・心の不調を可視化する仕組み(アンケート、チャット、ゆるいつながり)
・「助けて」と言う前に、誰かが「最近、どう?」と声をかけてくれること
こうした“まだ大丈夫”の段階に届く支援のあり方を考え直すことが、未来の心の健康を支える土台になる。
5|誰かの目が届く社会へ──「沈黙している人たち」のために
“うつ”という言葉の範囲にさえ入ってこない、無数のグレーゾーンの不調たち。
それらは今日も、誰かの心の奥で言葉にならないまま蓄積している。
そしてその人たちは、決して“弱い”のではない。むしろ、“一人で耐えようとしている”という意味で、強すぎるのかもしれない。
私たちにできるのは、その強さを少しでもほどいてあげること。
名前を呼ぶこと
存在を認めること
「あなたは、あなたのままでいていい」と伝えること
そんな小さなアクションが、見えない不調の連鎖を止める大きな力になると、私は信じている。