はじめに|“つながらない”ことに救われる時もある
「最近、人と話していない」
「LINEを開く気力もない」
「でも、誰かに会うのもしんどい」
そんな声が、自分の中にも、周りにも、こうした感覚が静かに広がっているのを感じる。
“孤立”という言葉が社会課題として語られる中で、誰かと関わることがまるで義務のように扱われる空気さえある。
もちろん、人とつながることには大きな意味がある。けれど、それが「関われない人を責める論調」になってしまうのだとしたら、本末転倒ではないだろうか。
人間関係に疲れ、孤立を選ぶようになった人もいる。
一時的に“ひとりでいたい”と感じることが、自分のバランスを取り戻す手段になっている人もいる。
このコラムでは、「孤立=悪」「つながり=善」といった単純な二項対立を超えて、
関係性と心の距離感を、もう少しやわらかく見つめ直してみたいと思う。
1|【数字が語る現実】── 約4人に1人が「頼れる人がいない」
2024年の内閣府調査によれば、日本人の23.2%が「悩みを相談できる人がいない」と回答している。
とくに20〜40代の若年〜中堅層では、周囲からは社会的に活発に見えていても、実際には人間関係の希薄さに悩む人が多い。
理由は明確だ。現代社会の構造そのものが、「孤立しやすい日常」を前提として動いている。
・核家族化と単身世帯の増加
・地域とのつながりの希薄化
・オンライン化によるリアルな対話の減少
・「プライベートに踏み込まないこと」がマナーとされる空気
誰かと会話しているようで、実際には「本音を言えない」関係ばかりが増えていく。
それが「孤立」の本質だ。
2|【関わりが“処方”になる】── 静かなアプローチ「社会的処方」
近年、「社会的処方(ソーシャル・プレスクリプション)」という考え方が注目されている。
これは、薬や診察の代わりに「人との関わり」を“処方”するというものだ。
たとえばイギリスでは、孤独を抱える高齢者に対して、園芸クラブ・読書会・地域ボランティアなどの活動を紹介する専門職(リンクワーカー)が配置されている。
日本でも、カフェの一角でひっそり開かれる「おしゃべりサロン」や「ご近所ラジオ体操」など、無理なく参加できる接点が少しずつ広がっている。
ここで大切なのは、“積極的につながれる人”だけが対象ではないという点だ。
誰かと関わることに慣れていない人、しんどさの中にいる人にとって、「誰かのそばにいる」ことそのものがハードルになる。
だからこそ、“押しつけない関係性”“名前を呼ばれなくても安心できる場所”が必要とされている。
3|【私自身のこと】── 「関わりたい」よりも、「関わるのが怖かった」
私にも、関わりが怖かった時期がある。
人間関係に疲れ、「もう誰とも関わりたくない」と強く思った時期があった。
それでも不思議なことに、数日たつと誰かに連絡を取ろうとしている自分がいた。
「誰かに会いたい」というより、「私はまだ社会の中に存在していてもいいんだ」と確認したかったのだと思う。
一人でいる時間は、決して悪いものではなかった。むしろ、自分の呼吸を取り戻すような、大切な時間でもあった。
でも、ほんのわずかな接点。たとえば誰かから「お疲れさま」と言ってもらえる瞬間が、こんなにも心を癒すのだということも、そこで初めて知った。
4|【“関わらない”ことにも意味がある】
現代の孤立対策は、「とにかくつながれ」「話せ」「参加しよう」となりがちだ。
けれど、孤独な人のすべてが「つながりたい」と思っているわけではない。
ときに、人と関わることそのものが消耗や不安を引き起こす人もいる。
日陰でしか育たない植物があるように、人にも「最適な距離感」がある。
そして、「今は関われない」という選択が、責められずに受け止められる社会であってほしい。
無理をして誰かに会い、余計に傷ついてしまう人もいる。
だからこそ、孤立を解消するとは「つながりの強制」ではなく、“選択肢の可視化”なのだと思う。
5|【文化としての“余白”】── 関係の濃淡を、自分で選べる社会に
つながるか、つながらないか。
その二択ではなく、「今日は少し話す」「今日は一人でいる」「今週は距離を置く」──
そうした関係の濃淡を、自分の意思で選べるようにすること。
それが、本当の意味で「孤立しない社会」をつくる第一歩ではないだろうか。
関わりを求める声だけでなく、
関わらないことに意味を見出す声にも、耳を澄ませる必要がある。
結びにかえて|孤立と回復、そのあいだにある“静かな場所”へ
人と関わることは、すばらしい。
でも、それができないときもある。
そのどちらも、否定されない社会があってほしい。
私たちはいつでも、誰かの人生に関われるし、同時に自分自身を回復する時間を選ぶこともできる。
もし、あなたのそばに“話しかけにくい人”がいたなら、無理に声をかける必要はない。
でもその人が、いつか「関わってみたい」と思えるように、そっと居場所を用意しておくことならできる。
孤立と回復のあいだにある“静かな場所”を、社会の中に、少しずつ増やしていきたい。